駒形神社なんでも綴り

駒形神社に関係あることないことを何でも記していきたいと思っております。ご笑覧ください。

4月29日、30日乗馬練習

桜満開の競馬場の馬術練習場で、来る5月3日に行われる子ども騎馬武者行列の乗馬練習を開催しました。
子ども達は、気持ち良さそうに乗っておりました。
大人の方が恐る恐るという感じ。
車に頼る生活をしていると、馬に乗るための脚力さえ、失われているような気がしました。
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わが社のkちゃんも乗馬体験(*^_^*)
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わが社の新入職員Hさんも初乗馬。
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4月30日は、愛馬の会主催のお花見会が桜並木の下で行われます。
午前11時半から乗馬体験や焼肉販売(300円)。
是非ご家族おそろいでおいで下さい。
ちなみに、競馬の方は「駒形賞」が開催されます。ご健闘を祈ります。
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  1. 2006/04/30(日) 08:12:05|
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4月27日、さくらともみじ

境内の桜は水沢公園の桜よりも咲くのが遅いのです。
今日あたりが5部咲きになるでしょうか?
もみじ(ちしおもみじ)もきれいな色に染まってきました。
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  1. 2006/04/28(金) 07:59:59|
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4月26日、じゃがいも植え。

天気が心配でしたが、とてもいい気候の中でじゃがいも植え。
子ども達が一生懸命埋めました(>_<)。
写真を撮れなかったのが残念です。
とりあえず、完了写真を掲載します。IMG_5136.jpg

  1. 2006/04/27(木) 08:50:48|
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4月23日、子ども騎馬武者説明会

来たる5月3日の子ども騎馬武者行列に向けて、
説明会が駒形神社斎館において行われました。
子ども達の鎧を見たときの煌めく眼がとても
新鮮に思えました。
昭和11年から行われている騎馬武者行列。
今も昔も子ども達の健やかなる成長を祈る
心は変わらない。IMG_5133.jpg

  1. 2006/04/24(月) 04:14:39|
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4月22日、日高神社例祭

日高神社の例祭に参列してまいりました。
本来は、4月22日の例祭後に火防まつりが行われていたものを
29日に移動したのは結構最近のことです。

直会の席で突然の乾杯音頭。
さくらの話をさせて戴きました。

写真は日高神社境内の姥杉です。060422_1225~001.jpg

  1. 2006/04/24(月) 04:05:40|
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4月21日、こいのぼり(*^_^*)

遅ればせながら我が家にこいのぼり。
気持ち良さそうです。
060422_1249~001.jpg

  1. 2006/04/24(月) 03:57:24|
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4月19日、さくらはいつ咲くか?

だいぶつぼみも膨らんできました。
もう少しで開花しそうなしなそうな・・・。
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今日は月次祭(つきなみさい)。
今シーズン初めて拝殿のガラス戸を開放しました。
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スイセンがきれいに咲いています。
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  1. 2006/04/20(木) 01:24:40|
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4月18日、A級戦犯と軽く口にしてしまいがちですが・・・。(長文注意)

【極東国際軍事裁判(東京裁判)とA級戦犯について】
「極東国際軍事裁判は、平和や人道に対する罪を事後に占領軍が作って裁いたという一方的な裁判で、日本国内(国内法)ではその人たち(A級戦犯)はもう罪人ではない。」
すでにA級戦犯と呼ばれた人たちは名誉を回復しているのが現状。
中国の反発にのせられて動揺しないことが大切だ。
(当時を考えて欲しい。欧米列強に植民地化されていたアジアを救おうとしていたのはどこの国かを。そして、日本軍が進軍した現地での教育やインフラ整備に関して言えば、他の国と比べ物にならない。他の国が奴隷的扱いならば、日本軍は共に栄えることを望んだ。)
私は、極東国際軍事裁判は見直すべきだと思う。それがA級戦犯に問われた方々が国内だけの名誉回復のみならず、国際的に名誉を回復できる手段でもあるからだ。
その是非を問うには、まず、そもそも極東国際軍事裁判とは何か、戦犯とは何か、から考えてみる必要がある。
極東国際軍事裁判は、ポツダム宣言第10項の戦犯処罰規程を根拠に、11カ国の連合国名によって(イ)「平和ニ対スル罪」、(ロ)「通例ノ戦争犯罪」、(ハ)「人道ニ対スル罪」の3つに分類された55項目の訴因に基づいて行われた。英訳すると(イ)(ロ)(ハ)はa、b、cになる。
裁判所は、東京 市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂に設置された。
A級戦犯とは、極東国際軍事裁判所条例の第5条(イ)、つまりaに規定された「平和ニ対スル罪即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加」を犯したとして、極東国際軍事裁判によって有罪判決を受けた人々のことである。
解りやすく言うと、侵略戦争を計画し、準備し、開始し、遂行した、もしくはそのための共同謀議に参加したとして、a「平和に対する罪」に問われた指導的立場の人々がA級戦犯である。主要戦争犯罪人とも呼ばれる。
これに対し、B級戦犯とは、同条例第5条(ロ)=bの「通例の戦争犯罪」に問われた人々であり、占領地の人民に対する殺人、虐待、奴隷労働などが該当する。訴追されたのは、占領地の将校クラスが多い。
C級戦犯とは、第5条(ハ)=cの「人道に対する罪」に問われた人々であり、この罪の対象は多岐にわたる。
戦争前か戦争中かは関係なく、占領地であるか否かも問わない。すべての人民に対して行われた行為が対象になる。
罪の範囲は、殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、その他の非人道的行為、そして政治的、人種的理由に基く迫害行為にまで及ぶ。訴追されたのは、占領地の下士官、兵隊クラスが多い。
このcは、本来、ナチスのユダヤ人に対するホロコーストを裁くために設けられたものであったと云ってよい。
なお、A級のAとは、同裁判所条例において「平和に対する罪」がaである事に由来する。a、b、cは単なる分類であり、罪の軽重を指しているわけではない。
ちなみに、ナチスを裁いたニュルンベルク国際軍事裁判においては、もっとも罪が重いとされたのは、cの「人道に対する罪」に問われた者たちである。
ただ、b、cはaに関連するものであるから、A級戦犯はb、cの罪にも問われていると云える。事実、A級戦犯とされる松井石根陸軍大将は、aは無罪であったにもかかわらず、b、cにおいて有罪とされ絞首刑に処された。したがって、松井石根陸軍大将は、正確に云えばA級ではなくBC級戦犯である。
以上を踏まえた上で、極東国際軍事裁判がいかなるものであったかを検証したい。
極東国際軍事裁判には、その構成上及び制度上の問題と裁判そのものの正当性の問題の両方がある。まず、構成上及び制度上の問題から述べてみよう。
①11人の判事中、中立国からは一人も選ばれなかった。
②仏・ソ2カ国の判事は、裁判の公用語である英語と日本語を理解できなかった。
③ソ連は中立条約を破って日本を一方的に攻撃した典型的な条例違反国なのに、罪を問われるどころか、この裁判で検事として、あるいは判事として、日本を訴追する権利まで与えられた。
④判事の中には、法曹経験の全くない者(中国の梅汝敖判事)もいた。
⑤民主主義にとっては当たり前の上告制度がなかった。
以上が構成上及び制度上の疑義である。
次に、最も重要な裁判そのものの正当性の問題について述べる。
①大東亜戦争は侵略戦争だったのか?
②戦争に対する共同謀議、平和に対する罪、人道に対する罪は、当時の国際法等に規定があったのか?
③そもそも、このような戦勝国が敗戦国を裁く裁判は何を根拠にして成り立つのか?
①に関して云うと、1941年12月8日に開始された太平洋戦争は侵略戦争ではなかったと断言できる。これは、帝国主義国家間による植民地争奪戦争だった。
米国はフィリピンを、イギリスはインド、ビルマ、マレー半島を、フランスはインドシナを、オランダは東インド(現在のインドネシア)を植民地支配し、搾取と収奪をほしいままにしていた。
欧米列強は、本国は民主主義だったが、ほぼアジア全域で過酷な植民地支配を行っていたのだ。そこでは数々の弾圧と虐殺があった。フランスとオランダは、戦後も独立を宣言した旧植民地を再侵略している。
このような国々と日本は戦ったのである。これのどこが侵略なのか?
②に関して云えば、事後(敗戦後)に裁判所条例により制定されたもので、当時の国際法等には何の規定もない。法治社会の鉄則である法の不遡及に反しており、罪刑法定主義からも逸脱している。
ちなみに、当時、内閣が次々に変わる中でどうやって共同謀議を確定できたのかも不思議に思う。
③に関して云えば、根拠などどこにもない。極東国際軍事裁判それ自体が、原則に反する違法なものなのである。
これには、さすがに判事の間にも異論があった。11人の判事中、少数意見の判事が5人いた。
そのうちの一人、オーストラリアのウエップ裁判長は、「どの日本人被告も、侵略戦争を遂行する謀議をしたこと、この戦争を計画及び準備したこと、開始したこと、または遂行したことについて、死刑を宣告されるべきでない」と判決文にしたため、フランスのベルナール判事は、「天皇が免責された以上共犯たる被告を裁くこができるのか」と述べた。
インドのラダ・ビノード・パール判事に至っては、「連合国は法を引用したのでもなければ、適用したのでもない。単に戦勝国の権力を誇示したにすぎない。戦争に勝ったが故に正義であり、負けたが故に罪悪であるとするのであれば、もはやそこには、正義も法も真理も存在しない。国際法、慣習法に照らして戦争は犯罪ではない。日本は無罪だ」と主張し、アメリカの原爆投下を非難した。
オランダのレーリング判事も「廣田弘毅元首相は無罪、他の死刑も減刑せよ。ドイツのナチスの処刑に比して重すぎる」と言い、フランスのベルナール判事は「この裁判は法の適用および法手続きにおいても誤りがある」とし、「11人の判事が一堂に集まって判決の一部または全部を協議したことは一度もない」と内部告発までした。
結局、米・英・ソ・中・カナダ・ニュージーランドの6カ国が、多数判決で、それ以外の5カ国を押し切ったのである。
ちなみに、少数意見5カ国のうち、フィリピンのジャラニフ判事のみが「判決が軽すぎる」とする立場からの反対だった。
オランダのレーリング判事は、帰国後に著した「東京裁判とその後(ザ・トウキョウ・トライアル・アンド・ビョンド)」の中で、次のように述懐している。
「われわれは日本にいる間中、東京や横浜をはじめとする都市に対する爆撃によって市民を大量に焼殺したことが、念頭から離れなかった。われわれは戦争法規を擁護するために裁判をしているはずだったのに、連合国が戦争法規を徹底的に踏みにじったことを、毎日見せつけられていたのだから、それはひどいものだった。もちろん、勝者と敗者を一緒に裁くことは不可能だった。東條が東京裁判は勝者による復警劇だといったのは、まさに正しかった」と・・・。
判決後弁護側は、連合国軍最高司令官へ再審査を申し立てるが却下され、直ちにアメリカ連邦最高裁に訴願するが、これも却下された。
A級戦犯とされた被告は東條英機以下27名。
精神異常による訴追免除及び病死を除く25名が起訴される。
絞首刑は、東條英機(軍人)、板垣征四郎(軍人)、木村兵太郎(軍人)、土肥原賢二(軍人)、松井石根(軍人)、武藤章(軍人)、廣田弘毅(第32代内閣総理大臣)の計7名。
昭和23年12月23日に巣鴨プリズンで処刑された7人の遺体は、まもなく横浜の久保山火葬場で荼毘に付された。遺骨は遺族に引き渡されることなく、米軍により砕かれて東京湾に捨てられてしまった。
この裁判は、昭和天皇の誕生日(昭和21年4月29日)を選んで起訴され、 死刑執行は皇太子(現天皇)の誕生日である12月23日に執行された。
不起訴は、岸信介(後に首相)、児玉誉士夫(ロッキード事件の黒幕)、笹川良一(後に船舶振興会会長)、正力松太郎(後に読売新聞社長)。
A級戦犯として有罪判決を受け禁固7年とされた重光葵元外相は釈放後、鳩山内閣の副総理・外相となり国際舞台で活躍した功績で勲一等を授与され、終身刑とされた賀屋興宣元蔵相は池田内閣の法相を務めた。
A級戦犯として絞首刑に処された人々は、1978年10月から靖国神社に“昭和受難者”として合祀された。また、国内法では「刑死」ではなく「公務死」の扱いになっており、1953年以降、遺族は、国内法による遺族年金または恩給の支給対象にもなっている。名誉が回復されたわけである。
なお、B、C級戦犯として約5600人が、横浜以外に上海、シンガポール、ラバウル、マニラ、マヌス等々南方各地の50数カ所で逮捕、投獄され、裁判の体をなしていない軍事裁判にかけられて約1000名が戦犯の名のもとに処刑された。
横浜以外で行われた裁判は、私刑であったといっても過言ではない。
以上からして、極東国際軍事裁判は、構成上及び制度上の疑義と裁判そのものの正当性の疑義の両面から認めることはできない。
百歩譲って裁判を認めたとしても、近代法の理念に基づけば、刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅する。従って処刑されたA級戦犯は、現在では犯罪者ではない。
戦犯の名誉回復は日本の主権に属する問題である。また日本の国内法上において、そもそも「戦犯」という用語を用いた規定は存在しない。
したがって、靖国神社にA級戦犯とされた人々が合祀されていても、国内はもちろん外国からもとやかく言われる所以は全くない。また、日本国総理大臣が参拝しても何の問題もない。
また、極東国際軍事裁判を認めるか否かと、戦争責任を認めるか否かは別の問題になるのかもしれないが、日本やアジアの民を苦しめたという点で戦争責任があるとすれば、それは米英も同罪である。
最後に、米軍の無差別爆撃による日本の非戦闘員の被害は以下のとおりである。
東京大空襲の被害者は死者10万人(推定)
広島の原爆被害者は死者約14万人(誤差±1万人)
長崎の原爆被害者は死者7.5万人
その他の空襲による死者20万人

以上山下
  1. 2006/04/19(水) 00:13:30|
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4月13日、神々と出逢う

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~神々と出逢う~
と題して、神奈川県立歴史博物館において
神道美術展が開催されておりました。
昔からの神々に対する習慣と現在の家庭での神棚の飾り方までの
流れを上手に説明されていました。

我が家には伝統がありませんと思われる方にとっては、
なるほどそういうことかと思わせてくれるような展示でした。

私の恩師である先生の文章を紹介します。

http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/musium/tenji.html

神々との出会いから家庭での神さまとの接し方までが
説明されています。









おいしいお土産と出逢いました。
りんごばうむくーへん
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期間限定だったような気もしますが・・・。とっても良いです。
  1. 2006/04/16(日) 07:50:45|
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4月5日、初自転車と新自転車

お姉ちゃんの自転車を青く塗り替えて
初めて自転車に乗る息子。
新しい自転車に乗る娘。
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もうそろそろで桜も咲きます。
風の気持ちの良い季節になってきました。

息子3回転ぶ。めげない。
娘に横乗りを教えるが、恐くて出来ないと。
2人の性格がしみじみと違うように思えました。
  1. 2006/04/16(日) 07:37:30|
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やまちゃん

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